弁護士メモ|千葉晃平のひとこと
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  • 【裁判・震災】東日本大震災(津波)にかかる宮城県石巻市大川小学校の児童の死亡について、学校組織上の注意義務違反を認めた裁判例(仙台高裁平成30年4月26日)
  • 【裁判・震災】東日本大震災(津波)にかかる宮城県石巻市大川小学校の児童の死亡について、学校組織上の注意義務違反を認めた裁判例(仙台高裁平成30年4月26日)

    本件は既に広く報道され裁判所HPに全文掲載されていますが、近時、判例時報2387号31頁にも掲載されました。

    裁判所HP http://www.courts.go.jp/app/hanrei_jp/detail4?id=87735

     

    判例時報の解説欄では「学校事故における安全確保義務のほとんどは、教師個人の問題とされる。しかし、教育活動に伴って生ずる危険から、生徒の生命・身体の安全を確保する義務は、直接、教育活動を指導する教師個人にあることはいまでもないが、それよりも第一次的には、教育組織としての学校自体にあると解され、したがって、学校という組織の管理上の過失を問題としていくことが先決であるとされていた(伊藤進=織田博子・実務判例解説学校事故(三省堂・1992)822)。」と述べられています。

     

     高裁判決は、被災児童の慰謝料に関する判断として「被災児童は、死亡当時、いずれも8歳から12歳の小学生であり、第1審原告らを含む両親や祖父母らの愛情を一身に受けて順調に成長し、将来についても限りない可能性を有していたにもかかわらず、本件津波によって、突然命を絶たれてしまったものである。また、被災児童は、本件地震発生直後は、大川小の教職員の指導に従って無事に校庭に二次避難し、その後も校庭において二次避難を継続しながら教職員の次の指示を大人しく待っていたものであり、その挙げ句、三次避難の開始が遅れて本件津波に呑まれ息を引き取ったものであって、死に至る態様も痛ましいものであり、被災児童の無念の心情と恐怖及び苦痛は筆舌に尽くし難いものと認められる。」と述べ、ご遺族の固有の慰謝料に関する判断として、「第1審原告らにとって、被災児童はかけがえのない存在であり、日々の生活は被災児童を中心に営まれていたといっても過言ではないほど、第1審原告らは被災児童に愛情を注ぎ、その成長に目を細め、その将来に期待を抱いていた。そのような被災児童を本件津波によって突然奪われてしまった第1審原告らの苦痛や無念さは計り知れず、本件津波から7年以上の月日を経てもなお第1審原告らは辛く苦しい日々を過ごすことを余儀なくされている。また、本件津波後、第1審原告らは、大川小の周辺がぬかるんだ土砂と瓦礫に埋め尽くされた中、自らスコップ等を片手に必死に我が子の姿を捜し求め、変わり果てた姿となった我が子に対面し、遺体を清拭することもかなわずに葬らざるを得なかった(甲A134~136の各1・2、甲A137、甲A138~140の各1・2、甲A141~144、甲A146~148の各1・2、甲A149~153)。以上のほか、本件に顕れた一切の事情を総合考慮すると、第1審原告らそれぞれの固有の慰謝料として、被災児童一名当たり各500万円を認めるのが相当である。」「また、被災児童のうちB16及びB22の遺体は、現在まで発見されていないところ、その保護者である第1審原告A19、同A20及び同A27は、現在もなお見つからない我が子の姿を追い求め、捜索活動を続けており、我が子の遺体が発見された遺族に優る辛苦を味わっていることが認められること(甲A135の1・2、甲A143)から、同原告らに対しては、一人当たり別途100万円の慰謝料を加算するのが相当である。」と述べています。

     

    3月11日をむかえ、今一度、あの日からの全てのことを心に刻みたいと思います。